窓際に飾られた花認知症があり、介護の必要になった母は91歳の時に我が家に移り住み、98歳で亡くなる迄の7年間を一緒に過ごしました。

同居を始めた当初の母は、同じ話を繰り返し語るようになっていました。

近い過去のことはすぐ忘れてしまいましたが、子供の頃過ごした家の近所の人達やその家の配置など、昔の記憶はしっかり残っていて驚きました。

母の身近にいることで、母の認知症が進行していく様子が分かりました。

世話をしていても、母は自分がされたことをすぐ忘れてしまうので、介護を始めた頃の私はむなしさを感じることが多かったのですが、次第に認知症の人にとって幸せなことが何かに気付き、それを母に実践することで介護の中での目標が定まり、自分の心構えも育っていきました。

そして母が亡くなる2週間前。

もうその頃には私が傍から離れると、いたことすら記憶から去ってしまい、ほとんどまともな会話を交わすことも出来なくなっていました。

しかし、それまでの介護がすべて報われたと私が感じるほどの言葉を、母が突然言ってくれました。母が亡くなり5年経ちますが、母の最後の言葉は常に私の心にあり、前向きに生きる意欲を与えてくれるのです。

認知症の人にとって幸せなこと、そして、認知症が進行しても、本当に大事なことは忘れないのではないかと、私が強く感じた最後の感動体験をお話したいと思います。

母の認知症の進行

10代後半から生け花を教えてきた母は、花一筋の人生でした。

花が大好きなので、我が家に移り住んでからは、母の部屋には何かしら花を飾るように私は心がけました。

地元に梅の名所で有名な公園があり、母が無理なく車に乗れた頃は、梅祭りになると車で出かけ、梅見といろいろ出ていた屋台の食事を楽しみました。

3年目の梅見の時でした。

車椅子で満開の梅林を回っていると母が尋ねたのです。「これは何の花?」 それは私にとっても大きなショックでした。

いけばな講師の母には、初歩的な花の名前でもある梅すら分からなくなっていたのでした。

自宅から歩いて10分ほどのところに、美しい桜並木で有名な通りがあり、母が寝たきりで過ごした最後の一年を除き、ワンシーズンに4~5回は花見に連れて行きました。

「きれいだね」

と母は喜び、満開の桜の下で満面の笑みを見せました。通りの端から端を2度往復して、自宅に戻ろうと、桜並み木を背にして車椅子の向きを変えて歩き始めた時のことです。

「きれいだったね」

と母に語りかけると、「何が?」と返事が返ってきたのです。

94歳の頃でしたが、もうその時は、姿が見えなくなるとその瞬間から記憶から去ってしまうようになっていました。

母は私の家と同じ敷地内にある別棟に住んで、毎朝私が出向いて世話をすることでは母の一日が始まっていました。

ただ、私の姿が見えなくなると、私がそれまで傍にいたことすら一瞬に忘れてしまうようになってからは、ヘルパーさんには「娘は来ないの」と頻繁に言うようになりました。

その言葉と矛盾するのですが、同時にどのヘルパーさんにも「娘はいつも優しくしてくれる」と言っていたのです。

「来ない」と言っても、「世話をしない」という表現は全くしなかったそうで、私が母にやさしくしているのは心の中に刷り込まれているようでした。

認知症の人にとっての幸せ

私とおしゃべりをしている時の母は笑顔で幸せそう、きれいな花を眺めていたり、美味しいものを食べていたりする時の母も幸せそう。

認知症で記憶に残らなくても、その瞬間が幸せならいいではないか、と私は気がつきました。

日々幸せな瞬間を出来るだけ多くつくってあげられたら、母は幸せに過ごしていると言えるでしょう。

そう考えたら、自分が何を心がければいいかが分かり、気持ちも落ち着きました。

そうして母の世話をしているうちに、我が家に来た頃のきつい表情がやさしいものに変わっていきました。

私には兄がいて、母が年老いたら兄夫婦が世話をするものと、母と私、親戚などは信じておりました。

母を実家に一人で置いておくのはもう無理となった段階で、兄達には母を介護する意思が無いことが分かり、私が引き取ることになりました。

古い時代の母親にとって長男は特別な存在であると、私が気付いたのは在宅で介護を始めてからでした。

面倒をみると信じていた息子に裏切られた思いもあって、毎日私に兄夫婦の愚痴を言っていた母が、年に2度兄が儀礼的に顔を見せると態度を一変させ、笑顔で迎えていました。

介護を始めて3年ほどは、私が世話をしている話などは一切せず、母自身が自分でやっていると平気で話しておりました。

介護をむなしく感じ、やむなく母の介護をすることになった事態を自分の心の中でどう折り合いをつけるか私には大きな課題になりました。

しかし、時が経つにつれ、母が幸せな瞬間をもてればそれでいい、最後に、母が世話をしたのは兄と勘違いして思うようになってもいいと、覚悟ができてきました。

そうして数年経つと、兄が来ても、私がとてもよくしてくれると、兄との会話では私のことばかり話題にしていると、その時仕事で訪れていたヘルパーさんたちが教えてくれました。

認知症になっても絶対忘れないこと

母が亡くなる2週間前のこと、いつものように朝、母の部屋に行くとベッドで目を覚ました母が突然言いました。

「あなたには最後の最後まで世話になったねえ」

「育ててもらったから、今度は私の番なのよ」と私が言うと

「いや、あなたはそれ以上のことをしてくれたよ。どうやって恩を返していいか分からない」

と母が言いました。

母は自分の世話で私が仕事を続けられなくなったのを申し訳なく思っているようだったので、「私は賢い子だからいつだって社会復帰は出来るのよ。私が幸せでいられるように祈ってくれたら嬉しいな」とおどけて言ってみました。

そうすると

「祈っているよ。いつも祈っているよ」

とはっきり言って、又、眠りの世界に入ってしまいました。

この頃には、もう会話らしい話は出来なくなっていたのに、何故突然母がしっかりとこうした言葉を言えたのか、まるで神様からの贈り物のように思えました。

最後まで、世話をしたのは私であり、兄は全く面倒をみなかった、という話をヘルパーさんにし続けた母。

どんなに認知症が進んでも、母の記憶からこの事実は消え去りませんでした。

一日に、母の幸せな一瞬を少しでも多くと、心がけるようになってからは、私と母の心は穏やかになりました。

介護する人が幸せでないと、介護される者を幸せには出来ません。

介護の期間がどのくらいなのか先が見えませんので、介護者はストレスを発散させる方法を確保しながら、自分の心と身体を労わりながら介護をなさり、お互いの幸せを見つけて欲しいと心から願います。

ライター/auntysunflower