食事をする老夫婦母が私の家に移り住んだのは91歳の時。7年間の在宅介護を経て亡くなりました。

当初から認知症はあり忘れやすくなっておりましたが、最後の1年間は私が傍を離れた瞬間に、私が今までいたことも記憶にとどまらないようになりました。

我が家に来る前は、健康に一人暮らしをしていた母も90代ともなると、突然体調に異変が生じて、救急車を呼んだり、入院したりも増えてきました。

認知症のある母は、家から病院に入院すると、環境の変化で精神的に不安定になり、夜大声で叫んだりするので、大部屋から個室、あるいは植物人間のように、常に眠ったままの患者さんと同部屋に移されることが何度もありました。

高齢者の患者が食欲を失い、食べなくなってくると、その段階で胃ろうにされてしまうケースがあります。

母もそうした状況になりかけましたが、運よく胃ろうをせずに、食欲を取り戻すことができました。

その方法は、母が認知症であることから私が思いついたことでした。

胃ろうを勧める医師

母は何度か入院しましたが、ある病院では食べ物、飲み物を一切と言ってよいほど受け付けなくなりました。

病気の治療は済んだので、退院日を決めなくてはいけないのですが、食事をしないので点滴で体力を保っている状況でした。

医師は胃ろうを強く勧めました。

私が迷っていると、胃ろうにしても、母の食が戻れば取り外しができると、気楽に説明を補足したのでした。

食べるのは母に残された最後の楽しみ

母は若い頃から食べることが大好き。

認知症がすすんでも、自力で歩けなくなってベッドに寝たきりになっても、食欲は衰えず、食事を喜んで食べていました。

胃ろうにしたら、母の日々の数少ない楽しみがさらに減ってしまいます。

母の気持ちになったら、それなら死んだほうがまし、と言うだろうと私には思えました。

胃ろうをつけずに退院させる

ひょっとして、家に戻ったら、病院にいたことを忘れて食が戻るかもしれない、と突然私にアイデアが浮かびました。

10日間位なら食べなくてもまだ持ちこたえられる、と言う医師の見解を聞き、もしその期間内に母に食欲が出なければ病院に戻って胃ろうにすると伝え、母を退院させました。

認知症を逆利用して取り戻した母の食欲

退院日、母のお気に入りのヘルパーさんに自宅で待機してもらいました。

長年いけばなを指導してきた母を、そのヘルパーさんは常日頃先生と呼び、自分も母の生徒であるかのように振舞っていました。

母が退院したのは7月の猛暑の日。

部屋に上がらせ、母用の椅子に座らせると、ヘルパーさんが何ごとも無かったかのように、

「先生、お暑いですね。冷たい麦茶を如何ですか」

とお盆にのせたコップを母に差し出しました。

彼女が普段やっていた動作でした。

私の家族は固唾を呑み、次の瞬間を見守りました。

「そうね」

と母は普通に答え、コップの麦茶をゴクゴクと美味しそうに飲み干しました。

入院前に見慣れていた光景です。

あまりにも自然にことが運び、病院での母の状況が信じられない程で私は万歳したい心境でした。

その日から、母の食欲は完全に戻り、食事時には以前と同様幸せな表情を見せるようになりました。

母は気丈な性格で、自立心の強い人でした。

母なりの生き方の美学があると、私は感じていたので、なるべくその美学に沿った日々にしてあげたいと、母の介護を始めた当初から考えておりました。

そうした点からみると、胃ろうにしたり、延命の為に管を身体につけたりするのは、母は絶対にしたくないだろうと、私には強く思えました。

胃ろうに関しては、食べるのが大好きな母から、食べる喜びを奪ってしまうことで私は反対だったのですが、現実的には、病院側が早く患者を退院させたい時には、医師は胃ろうをかなり強く勧めますので、こちらにかなり強い意志がないと拒否しにくい雰囲気はあります。

医療に関して子供に伝えておくこと

子供が複数いて、それぞれの意見が異なる場合もあるでしょう。

私には兄がいますが、介護をしていたのが私ではなく兄夫婦だったら、母は胃ろうにされただろうと思います。

今回は私が介護をしていて環境変化によって母の食欲がなくなったのがわかったので、もう一度家に戻すことで胃ろうをせずに食欲を回復することに成功しました。

もし、親が急に食欲を無くした場合は無理は承知で親の言うことを聞いてあげてみてください。

胃ろうは一度してしまうと外すのは難しいと聞きます。

できる限り、人間の尊厳を守り食事という大切なものを放棄しないように最大限の努力をしましょう。