医師の胸元我が家に同居して私が世話をするようになるまで、母は自分の家に一人で暮らし、お花を教えたり、月に一度はお寺でお花を生けたりして収入を得ていました。

私の家からお寺までは車で3~40分程の距離だったので、私の家に移り住んでからは、私が車でお寺への送迎をして、椅子に座った母の指示に従って私がお花の生けこみをやるようになりました。

「まだ働いているのよ」と人に誇らしげに語っていたので、お寺通いは母の生き甲斐にもつながると訪問日をカレンダーで赤丸にして、数日前から母との話題にしていました。

同居して1年くらいはそれで良かったのですが、次第にそれが強迫観念になってしまうのか、早く伝えると当日までぶつぶつそればかり口にして、精神的な不安定さが見られるようになりました。

そこで当日、「これからお寺よ」と直前に伝え、いけばなの教室に行くために車に乗せることにしました。

認知症が進行するにつれ、この傾向はひどくなりました。

精神的な負担にもなる知り合いの訪れ

住み慣れた自宅を離れて、我が家に移り住んでしばらくは、親戚やお花関係のお弟子さん、お友達が訪れるのをとても喜んで、訪問日を楽しみにしていました。

しかし、これもお寺の生けこみと同様、母の心情に変化が表れました。

「人が来る」と考えただけで嫌になるようで、早めに伝えると、「来なくていいのに」と何度も暗い顔で繰り返しました。

望んでいないのが私にも感じられ、やがて、事前に母には伝えなくなりました。

母の在宅介護は7年に及びましたが、5年ほど経つと、私やヘルパーさんなど、馴染みの人以外が訪れると、異常な疲れを見せるようになりました。

その頃になると、訪れる人の人数は減り、母と仲の良かったいとこの奥さんが2ヶ月に一度、兄が年に2度儀礼的に顔を見せるくらいになったのですが、どちらが来ても1時間程会話をして帰ると、母は非常に機嫌が悪くなりました。

恐らく無意識に会話をあわせているところがあったりするので、神経を使いすぎて疲労困憊してしまうのでしょう。

母のそんな様子を見ていたので、人がたまに訪れるのは、正直、私にもありがたくないことでした。

元気な頃の母が好んでいた甘いお菓子を持参して、母に勧めるのも迷惑でした。

甘いものを控えていることもありますし、相手を喜ばせようと、普段の量を超えて無理に食べたりするからです。

訪問者には、状況を説明し、長居はしないで欲しいと事前に伝えることもしました。

母の身体や自分の生活を守りたい気持ちで、当時の私はかなりはっきりものを言うようになっていましたので、折角訪問するの、なんと失礼なことを言うと気分を害した人もいたかもしれません。

ただこうした状況に置かれた時、痛感したのは介護をしている者と、全く経験の無い者との意識の大きな違いでした。

介護をされている人を訪問する際は、気をつけるべき点など、事前に介護者には確認をしてくれた方がありがたいと思いました。

入院することで認知症は一気に悪化する可能性がある

母の場合、ヘルパーさんは曜日で来る人が異なりましたが、毎週決まった人が来るのでそれは障害にはなりませんでした。

最も弊害が生じるのは病院に入院すること。

大きく環境が変わるので最初から錯乱状態で叫んだりします。

精神安定剤を飲まされ、薬の影響もあるのでしょうが、認知症が一気に進んだりします。

亡くなる1年前に尾骨を折って入院した時は、その翌日に廃人のようになってしまいました。

手術はしないということだったので、病院に長居するほど家で介護できる精神状態から遠ざかると判断して、8日後には家に連れ戻しました。

家のことはすっかり忘れていて、自分の家だと認識して気持ちが落ち着くまでに10日ほどかかりました。

認知症の進行につれ、不測のことがいろいろ起こったりしますが、できる限り日々同じ流れで暮らすことが、介護をする者、される者にとってもっとも心穏やかでいられる方法だと体験から学びました。

ライター/auntysunflower