散歩をするシニア介護される側の気持ちになるのは、当事者の立場になってみないと実感はできないものです。

まだ元気に体が動く側から見れば、
「じっと家の中にいるのは退屈だろう」
「少しでも外出して、違う景色を見れば気分転換になるだろう」
「多少無理をしてでも、少しでも動けるうちに歩かせておかないと、ますます弱ってしまう」
という気遣いや心配が生じてくることでしょう。

ただ、往々にして、「お父さん、散歩に行こうか?」と尋ねても、「面倒だし、疲れるからいいよ」と断られたり、「私のような年寄りと一緒に外出しても、あなたはつまらないだろう」と遠慮されたりすることがあります。

それらを怠惰な気持ちだと思ったり、余計な気遣いだと感じたりしないで、誘い方を工夫してみましょう。

連れ出す苦労は日々の習慣のようなもの

若い人だって、なんとなく体がだるい日は、表に出るのがおっくうで、家でゴロゴロしていたいと思うことがあるはずです。

高齢者の場合は、常にだるさを感じている人が実際に非常に多いはずです。

そういうときに「早く死んでしまいたいな」と愚痴をこぼしたり、さらにはそれが口癖のようになってしまっていても、「後ろ向きのことを言ってはダメ」とお説教をするのはよくないでしょう。

むしろ、そういうネガティブな言葉は聞き流して、元気づける言葉を返してあげてください。

かくいう私も、高齢の親を車椅子に乗せて散歩に連れ出すのは毎回ひと苦労でした。

いくら「アジサイが綺麗に咲いているよ」「公園の桜が満開だよ」といっても、「別に見なくてもいいよ」と、だるそうな返事しかもらえないことばかりでした。

毎月1日と15日は、神社にお参りにいく日でしたので、本人も神様に失礼があってはいけないと感じて、自分から率先して出かけようとしてくれましたが、当然ながら、そんな特別な日が多くあるわけではありません。

しぶしぶベッドから体を起こすところまではいっても、運悪く体の一部をどこかへぶつけたり、防寒用の靴下がうまく履けなかったりすると、「やっぱりやめよう」といって、抵抗を見せることもしばしばでした。

ささやかな親孝行の思い出をつくる

ただ、それでも根気よく励まして散歩に連れ出していたのは、いざ表に出ると表情が晴れやかになって、自然の木々や町並みを眺め、道ですれ違う人達との出会いもあったりして、戻ってくるころには、「やれやれ」といいながらも、「ありがとう」と嬉しそうに言ってくれるからです。

私が在宅で介護ができたのは、ほんの短い間で、その後に特別な寝台車椅子でないと移動できないほど寝たきりになってしまってからは、週末に施設を訪れた際に、少しだけ外に連れ出す程度でした。

寝台車椅子は重たくて、扱いも難しいので、施設の職員はなかなか散歩に連れ出してはくれず母も面倒がることから、リハビリを兼ねたロビーでの集まりにすら連れていかれなくなってしまいました。

しかし、職員の人たちも常に人手不足で忙しそうで(といっても、手抜きをしてサボることを覚えたベテラン職員たちのせいでもあると、母に愚痴をこぼしていたそうですが)、私が都合で週末の昼間に訪問できないときもあり、母にはもっといろいろしてあげたかったと後悔することもあります。

介護を終えた私からのメッセージ

いま介護中の方、そしてこらから始められる方たちに私が申し上げたいのは、介護を受ける高齢者が、できるだけ動きたくないと主張するのは怠け心ではないので、本当に億劫であることを理解するように努めて、外に連れ出すまでの苦労が毎回続いても、表に出ることは本人の心身にとって良い効果をもたらしますので、大変でも頑張って誘っていただきたいということです。

人生の最後に、少しでも楽しい瞬間を味わわせてあげてください。